『綿矢りさのしくみ』-渡部さんのパートについて

う〜んん、
あくなき文芸の探究者?渡部さんについて....

● 渡部直己さん

 いつも元気で切れ味のいい批評やコラムを書いてる渡部直己さんのイントロが優しくて親切。ちゃんと自分のスタンスを明らかにしつつ、読者や作者が傷つかないよーに気を配ってくれている姿はダンディーかも。「作者当人と愛読者の双方にとって多分に残酷な」批評をするぞオ!という宣言はツカミとしても合格。ダテに小説の学校の先生やってるワケではなさそーです。

 寝不足と寝過ぎの常習でセロトニンがオーバーフロー気味のボケボケ頭で自信なく思い出してみると、たしか渡部さんはポストモダンな人。脱構築なんてゆー用語とともに流行ったポストモダンな視点からの批評もこなす人で、紀伊半島のひきこもり青年だった中上健次さんや、1人で労働組み合いをつくって1人で騒いでいたらしいコンピュータ人間(16bit?)の柄谷行人さんらと仲良しだったり子分だったりする間柄の重要なメンバーなハズ。文化が商品であることがバレたバブル時代に、その状況を自由自在に切りまくっていた姿はキルビル以上。座頭市でもいいんだけど、自分が見えてないことの言い訳をされちゃかなわないんで、ま、座頭市のたとえは除外してと....。
 
 結論の表明に躊躇しない渡部さんに対して、もちろん、ココでも結論的ジャッジはまったなしだし遠慮なしで、辛口で

P120)
「愛しさよりも、もっと強い気持ち」というのがどのようなものか、
「私」は(おそらく作者じしんも)ついに最後まで分からない。

 蹴りたい背中」な気持ち、「愛しさよりも、もっと強い気持ち」とゆーのは斎藤環さんのよーなラカニアンじゃくなくてもサブカル論じてるものにはヒジョーに分かりやすいもの。つまり<他者の欲望を欲望する>とゆーありきたりなコトだから。

 「(おそらく作者じしんも)ついに最後まで分からない」という断定は(失礼にして)間違いじゃないのかな。「蹴りたい背中」というタイトルそのものからして直截で普遍的で当り前な....だから自覚無くして惹かれた....というのがこの作品が支持される理由だし価値でしょ。リアルワールドの当事者が言葉足らずゆえに直截に表現するなら「ねえ、振り向いてよオ」てな言葉に象徴されるもんだし、でなけりゃ、振り向かせることができるか?という青春の自問自答とか。それこそ<わかってるけどコトバにできないもの>を表現するために文芸があるんじゃないの?

 たしかに「愛しさよりも、もっと強い気持ち」というもの、強度そのものである情感を言語で表現するのはムズカシイでしょうが、だから文芸が必然であるというスタンスからの評価があってこそ批評なんじゃないかな、と思います。芥川賞の受賞理由を「この数行の出来によるのかもしれない」と指摘しながら、その説明がされていないのも残念。

P121)
本作についてはなぜ、こうまで「技術」吟味に徹したのかという問いにも、
ついでに答えておこう。もちろん、それ以外には何の興味も惹かれなかった
からだ。

 興味を惹くかどーかが基準なんですかね?
 文芸のいいところは<詩人は石とも話す>てな感じで、享受者の感性を研ぎ澄ましてくれるところだと思うんだけど。それに批評家たるものは自分がなぜ興味を惹かれなかったかという自己分析があってしかりではないか、なんて思うし。

 「「技術」吟味に徹した」というのは、すでに<現在>を感受できなくなってきている自分の鈍さを隠蔽するための言い訳か? 技術論でしか『蹴りたい気持ち』を語れないことの真実は「それ以外には何の興味も惹かれなかった」という言葉に現れているように、感覚の鈍磨があっただけ? ただしそれを作品の鈍さであるかのように書けるところがさすがプロとゆーこと? ここで「さすが」とか書かれちゃうほどプロの水準が....てな問題でもあるかもしれないし....。

P111)
気分は太宰、腕は辻仁成!? この手の告白場面に無防備に感動してるようでは、
まともな大人にはなれないという事実も、本作のあまたの若年愛読者のために
付言しておくが、(略)

 フムフム、「まともに大人になれない」という「事実」確認がどこでおこなわれたか、とか、そーゆー断定を担保するものはなに?とか疑問を持つのはそれこそガキなんで不問にしますが。そーゆー作品が芥川賞をとる理由も説明できてないし、ましてや「まともに大人になれない」と指摘しておきながらどこかで大人になる方法でも教示してるんだろーか?と思っちゃう。

 受賞について語らないのは文芸論者のサボタージュだし、「大人になれない」という嘆きだけならPTAレベル。<大人>と<こども>をめぐる問題ならサブカル論議の大前提でしょ。昔あった、エヴァンゲリオンは文学を超えたとかなんとかゆー言説の方がススんでるのか....今年の夏までエヴァを観たことがなかったボクには関係ないけど。

 渡部さんの批評でわかることは、彼に代表される文芸のある部分、党派でも、水準でも何でもいいですが、そーゆーものの質や程度が明らかになったとゆーことにつきるかも。もちろん伝統的な文芸表現の技術を勉強できるのは確かなんでしょう。