11月28日「新選組」

 
   近藤は、俺の意図を気づいていたな
   あんな悲しい目をしたやつは見たことない

という勝海舟
 
  俺はカッちゃんにんついていくだけだ

という土方
 
うううううっ
 
 「新選組」ももうすぐ終わりかあ、と、身近なローカルな物語を考えさせてくれるドラマでもありましたん。何年も前に散歩していて土方の墓があるお寺を見舞ったら、土方名の墓碑がイッパイあって驚いたことがありました。近所に一族の方が大勢住んでんだろか?まあ、そなんでしょうけど。
 
 ちょこんとしか出てこなかった幕府海軍の榎本武揚という人もスゴイ存在みたいで。
北海道で建国を画策したといわれる榎本武揚ですが、彼も主戦派・武闘派をひとつにまとめて手元に置き、争乱内乱状態が全国に及ぶのを妨げたという解釈があります。
 モダニストである安部公房が榎本に関して研究を続けたのも、そんな理由かもしれません。政治とか権力とかが何であるかということを考えさせてくれるのが勝や榎本という人たち。人間とは何であるべきかを考えさせてくれたのが近藤や土方、そして隊士の面々ですよね。
 
 安部公房には「棒になった男」という作品があり、その見解からいけば、近藤勇新選組は棒になった男たち。「棒」はもっとも原始的な道具のことです。
 幕府にとっても官軍にとっても新選組は「棒」になった男たちかもしれませんが、大切なのは自ら自覚してそうなったのか?ということですよね。司馬遼太郎さんが多摩の農民と新選組に見たキャラクターとは、そういうものなのかな。一言でいうと覚悟みたいなもの?....みんなのために棒になれるか? という。
 司馬さんは自分は大阪人なので多摩の人(千人同心、新選組)がわかったといっています。つまり自分にないものだからこそ、わかったということらしいですが。おそらく多摩の人は日本でいちばん複雑な人格だというコメントには、多摩や東京の人は驚いたでしょう。なぜなから自分のことは自分ではわからないから。
 
 一方で勝海舟のキャラが立ちます。これもまた、多摩からは離れた、千住大橋なんかをわたった先に住むご隠居の知恵にあふれてますね。近藤に死に場所として甲府をあてがうだけなら只の狡獪な官僚ですが、「あいつは俺の意図に気がついてる」「あんな悲しい目をした男はいない」というセリフに、極限の粋ぽさとキャラがでてる気がします。
 こういうスタンスに美学を見出して作られてる映画が北野武さんの作品でしょう。彼のどの映画を見てもクールな認識とドライで確実な情が表現されています。乾いた暴力だという批評がありますが、在宅看護における臨終では泣く人がいないという事実のように、涙や笑いでゴマかせないクールな認識のすえ、周囲に対して最大限の利益を与えられるように振る舞う....そこに美学?を見出す北野武さんの眼差しは、勝海舟のものと同じだし、その眼差しに応えようとする生き方は近藤や北野映画のブラザーたちの生そのもの。
 
 最近になって、自由民権運動新選組縁の人たちによる面があることがわかってきて新しい発見らしいですが、「明治」の元号を「治まるめい」とひっくり返して意味づけし、明治政府を揶揄し続けた江戸っ子(東京人)のやんちゃぶりには勝海舟ビートたけしにまで連なる心意気?があるような気がします。川向こうの隠居や下町のやんちゃぶり。
 江戸は「東京」と改名されますが、明治政府がつけた本当の名前は「東けい(トウケイ。IMEで「けい」の漢字が出ない)」です。ところが江戸弁ではキャ・キュ・キョという発音がしやすいため「トウキョウ」「トウキョウ」とみんなが発音し、とうとう新設された鉄道の駅に「東京(トウキョウ)駅」というプレートがついて、明治政府決定の「東けい(トウケイ)」の名が公式の場から消えていきます。やんちゃというか下町気質というか、スゴイですね。
 
 前半は仲間が集ってゆく物語。中盤は仲間同士の葛藤。後半は仲間たちの運命。物語としても三谷さんの構成や脚本もよかったです!


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