ウインナー問題?

以下説明....

客が喫茶店で「ウインナーコーヒー」を注文したら、
「ウインナー」と「コーヒー」が出てきて、
客は黙ってソレを食べて帰っていった....

....とゆーやつです。
客が怒ったらトラブルでしょーが、怒りも抗議もしないので、
何事も無かったよーに喫茶店の一日は過ぎていくわけですね。
この喫茶店の平穏でまったりとした日々は、
こーゆー誤配に文句を言わないでスゴスゴと毎日を過ごしている多くの人たちのおかげなワケでしょー。
 
「ウインナーコーヒー」事件はケッコウ多発気味らしく、
そこに現代社会学のおおきな、おおきなあ、大きなあテーマがあるのを
バッチリ指摘したのが宮台先生です。
それは吉幾三問題」といわれる問題で、
コミュニケーション不全のこと?か、
あるいはサブカル論議?で流行った(らしい)誤配に関しての考察で
「郵便的問題」東浩紀先生)でしょーか。
 
まあ吉幾三さんがウエイターだった時にやっちまった失敗らしいですが。
問題は誰かがそーゆー失敗をすることじゃくて、
その失敗を問題にしないで日常を生きていく大勢の人たちの
おかげだ、とゆーことだと思います。

どこにもである誤配や失敗をいちいち問題視するのではなくってそれをこなしていく大勢の人たちによって社会は無事なんじゃないでしょか?
 
そーゆー<ナニゴトも「問題にしないで日常を生きていく大勢の人たち」による結果としての現時点>吉本隆明さんが表現すれば以下のよーな言葉がピッタリな気がします。

重層的非決定・・・

どうですか?
そーゆー意味でも
お客様と消費者はエライわけで、しょ?

ハイ・イメージ論3 (ちくま学芸文庫)

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宮台真司interviews

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東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

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