マナとカナ
総務省がプッシュする市町村合併で、日本の伝統的な地名が消えつつあります。かわりに新しい町名がどんどんできたりします。
まあ、それとは別問題なんだけど....去年、新聞に面白い特集がありました。
ローカルによって「町」をどういうふうに読むかということで、音読みか訓読みか、その理由は....というものです。
紙面にあるソースはだいたい以下のとーり。
東日本にはマチが多い 西日本にはチョウが多い 沖縄にはチョウしかない 「マチ」にしろ「チョウ」にしろ そういうふうに読む理由は「ない」「わからない」。 でも 「チョウ」は立派そう、偉そうな感じがする。 だから市町村合併にともなって自治体のネーミングで「チョウ」が増えている。
ということだそーです。
松岡正剛さんの問題意識や、探究してる世界そのまんまみたいな面白いテーマだし、
そのへんの言語学なんかじゃ全然解けそうにない問題だったりもします。
まあ言葉の問題が解けない言語学ってナンダカわかんないけど。
「町」を「マチ」と読むか「チョウ」と読むか、
現実の地上に根拠を持つ言葉の読みですが、
こういう問題こそ記号論やソシュールじゃ全然無理なもんで、ちょっと笑えます。
むしろ民俗学の領域のテーマなんだけど、「物語論」などのレベルではなく、
それよりもっと基礎的な次元の、言葉そのものの発生の問題なんだと思います。
ちなみに、
マチという読みは会話における意味の確定を経てきた(歴史のある)自己確定しやすい言葉(発音)だといえそー。
チョウという読みは概念が先行する言葉で、発音そのものが意味を指し示す機能であり観念性の高い言葉といえるでしょー。
とりあえず、
マチはパフォーマティブで、
チョウはコンスタティブ、そんな感じがします。ふふふ
松岡正剛さん式にいえば、
マチは仮名で、
チョウは真名。
訓読みであることが多い仮名は、実をいうと、生活の中で生成した概念を言語化したものが多いようです。
人間の住む場所の形象から人間がどのようにどのような概念の形成と、その言語化を行ってきたか?
ヒントはそんなところでしょー。
言葉の発生とそれにともなう機序は、ソシュールとかには全然無理つーか、問題外で論外。もちろん逆も真なりなんだけどね。