迷子のバブル時代?
『ツアー 1989』を読んで、いろんな感想があるけど、
第一印象でひらめくように感じたんで、絶対に言っておきたいのが、コレ。
キャッチに囲ってモノ申す。
このままドラマや映画になる。 そう思える作品でしょ? そういう、小説。 もちろん主演はオダギリ・ジョー
以下『ツアー 1989』(中島京子・集英社)の感想です....。
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スキ・キライは人ぞれぞれで、そこに何か公準も設けてジャッジするのはムズカシイ。今や新宿伊勢丹の紳士服コーナーにも進出したとかいう〝男の甘味〟について「チョコパーがいい」「白玉あんみつがGOO」「東京だったら蜜マメでしょ」なんて談義してもはじまらない。好きなものは人それぞれなんだから。チョコパーが好きでも、ホットケーキが大好物でも、ソース焼きソバの方が断然イイと思っていても、誰も文句は言えないでしょ。反対に共有できるハズなのがキライなもの....イジメは嫌い、痛いのはイヤ、貧乏より金持ちがいい、不味いものはマズイ、イラクは悲惨だ....でしょ?
この小説は、そんなスキ・キライのレベルを超えている気がした。読者の対象も選ばない、老若男女、ニートにフリーター、自営業の社長から大企業の一部門で奮闘するリーマンまで。誰もが読めるし、どこか心当たりのある、そんな作品じゃないかと思う。
ハッキリ言って、タイトルにもなっている1989年というバブル経済の絶頂期のホントの姿を伝えるものは書籍にもメディアにも少ない。この作品はその辺にもちゃんとチェックを入れていて実際のバブル崩壊が消費動向としては時期的にズレたコトなども触れている。もちろん、主人公のような存在こそがバブルの浮かれた気分を支え演出したことを示しているが、その点では都市伝説のリアルな在り方まで、この作品は指し示してしまっている。
何よりもバブルのホントの凄さはみんながリッチになって浮かれたことじゃなく、貧乏でも浮かれることが出来たということだ、とボクは思っている。考えてみてよ、「ステイン」みたいにビンボーでも浮かれることが出来た楽しさを。金持ちだけが浮かれて踊るならそれはウインナーワルツだってなもんだ。ウイーンの社交界で貴族や金持ちが一夜の慰みの相手を見つけようとメイッパイ着飾って踊ったところで、アルゼンチン・タンゴの魅力もなければヒップホップの元気さも無いよ。かんけーねーつーこと。
現実のバブルはウインナーワルツとは違う。
....というより現実のアナタの平穏な生活や、ある会社のヒツト商品や、ちょこっと新聞に載った小さな記事や、なんちゃってオジサンや風船おじさんみたいなどーでもいいけど気になったこともあったよーな(なかったよーな)話題まで、そのどこかにフッと感じられた自覚できない魅力やちいさな気分....そんなものを演出してくれたナニモノかが、どこかにいたとしたら....それが、あの誰もが楽しかったバブルの本当の姿、ホントの仕掛け....。
そーいうものを、知らない人は探してごらん、知ってる人は思いだしてごらん、とこの小説はいってるようーな気がした。超人はいない、だから探すワケよ。
まずは読め! そーいいたくなる小説でしたん。
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