硬派に語る『物語消滅論』(W

いわゆる物語の文法によって制御されている、ストーリーラインや
内的な構造があるものを物語と呼ぶことにします。P11
  (略)
しかし本書ではいわゆる比喩としての「大きな物語」とか、
「何々は神話である」と  いったニュアンスでの「神話」という語は
「物語」に含みません。
  (略)
「物語」、つまり説話の因果律による社会設計が実は始まりかけている、
もしくはそれが成されやすい社会になってきつつあるのではないのか、
という予想がぼくにはあります。いわば「物語」が「イデオロギー」に
とって代わり、社会や現実を設計する枠組みとして援用されていく
という事態が確実に生じていると思うのです。P12

 『物語消滅論』の冒頭で、大塚英志さんは自分の問題意識をハッキリ表明し、それに関してこれまでの言説の中でのアプローチと基本的なスタンスが説明され、本書では、その現在進行形の課題が提示され、その理解や解答を読者に問うとともに終わります。

 つまり<イデオロギー化する「物語」>の背景を探り、それに応じて<キャラクター化する「私」>を分析し、結論として、モダンな文学とテクニカルな批評の必要を主張しています。それは<「近代的言説」の擁護>として括られます。


 これは別のいい方をすれば、
 今、安部公房の文学を批評できる人がいるでしょうか?
 というカタチで表すことのできるテーマです。


 J-POP文学に対して「技術論」でしか対応できなかった批評家や、罵倒しかできなかった思想家は、すでにいらないわけです....と思ったりもするんですが。


ココとは違う視点で面白く参考になったのがid:yattaさんの「物語消滅論を読了」です。